久しぶりに下北沢のピアッシングスタジオに顔を出して、15時から閉店まで長居していた。様々なお客さんがやってきては風穴を開けていたが、痛がりもせず、騒ぎもせず、つまらないなと思ってしまった。人間の成長過程において痛みを表現するのをやめる時期とは一体いつなのだろうか。

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蛇にピアス

麻酔、鎮痛剤、システマ、ヨーガ。痛みは様々な方法で逃すことができる。しかし、ある程度の痛みは感じなくてはならないし、ある種のものはむしろ感じたいとさえ思う。健康な身体、あるいは生存本能を一定に維持する機能として少なからず痛覚は必要だろう。多くの病は痛みによって気付く。だからといって過敏になりすぎるのもよくないが、五感の一つとしてきちんと大切にしなければ、己の身体そのものも大切にできない。

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今年1月ネイプを開けたときの私。
ピアッシングに伴う痛みは人間を逸脱へ導く。太古より数多の民族が身体改造儀礼性を見出したように現代のボディピアッシングにも何かしらの力があるのだとすれば、その真髄に触れる唯一の術は鋭い痛みを受け入れることだ。