言葉と妙なものを封印せよ2

『言語を持ちそれによって他者と関わり社会を形成したホモサピエンス=人間』だとするならば、純粋に言語を持たないホモサピエンスは何なのか。例えば赤ちゃん。感情を伝えるべくただ湧き上がってきた身体表現をやっている……寂しくて泣いていたら、ママがそれを見て「あら〜泣いちゃったの〜」と言うから「ああワイが今やっていることは泣くって言うんや」と知り、ここで初めて身体行為と言語が一致+認識するわけで、仮にこういう過程を全く通らず身体だけが成長したとしたら、そいつは人間と言えるのか。
もし舞踏が本当に「言語を逆手に取って身体に立ち返る」ものなのだとしたら、舞踏は幼児退行・胎内回帰にも近い。そしていつかは「何かしらを表現したい」という欲求さえも忘れ、人間としての意識さえも手放し、無に還元されていくのだろうか。
そうだとしたら、言語は「何かを定義したり意味を伝えるツール=縛るもの」という本来の存在意義とは全く逆、つまり「定義や意味を手放すためのツール=解放するもの」にもなり得る。これを可能にするのが舞踏であり舞踏譜である。
また舞踏はさらにここに日本人のアイデンティティや日本人独自の身体性を追求したので、一層我々の根源的な精神に訴えかけるのかもしれない。