詩情の今際

3〜8月頭にかけて、ビョーキじゃないかと思うくらい本を捨てまくった。実際は売ってるか譲ってるかなんだけど心境は “捨てる” そのもので、まるで臨終前の身辺整理みたいだ。洋服もアクセサリーも化粧品も減った。下着もどんどん買い換えて、もしかしたら見た目も変わったかもしれない。

基本的に本は一度読み自分が欲しい情報(知識・感想・インスピレーションetc)を手に入れられれば目的は達成され、棚に戻してもう取り出さなくなる。それが蓄積されていったのが “本棚” であり、それは自身の脳の分身とも言えるし、バンギさんの言葉を借りれば “価値の体系” とも言える。さて、しかし本から得た “価値” はその本を読んだ時点で私のなかにインデックスされる、場合、本そのものが物体としてそこに残る必要はあるのだろうか? 本を読んで何かを得る、学ぶという行為が何千年も前から脈々と続いているのは、歴史がその大切さ(本から学ぶという行為そのものや学んだことの信憑性っていうか真実味のようなもの、あるいは実例)を裏付けているからかもしれない、でも得たものそれ自体が普遍的かどうかと言われれば定かではないし、宇宙規模で考えればそれらの根拠はどれもおぼつかないものだ。そうなると、今ここに存在する本棚に蓄積された価値のようなものはもしかしたら錯覚にすぎないのではないか? ここまでくると、読まなくなって取り出さなくなった本にかけたお金すら馬鹿馬鹿しいようなそうじゃないような。まぁこんなことを考え出したのは全部やりきった後バンギさんと電話したときの話だけど、でも自分がやりたかったことは単なるストレス発散や断捨離などではなく、もっと深いレベルの “心辺” 整理だったのだと思う。

f:id:kikuno_mure:20170815015011j:plain

これの他にもう一つ小さな漫画棚があったけど大処分の結果完全撤去された。残されたもののラインナップを見て妙に納得する。写ってない下段には別冊太陽が数冊と哲学に関する印刷物がしまわれている。

そんなこんなで、まずは溜まりに溜まった捨て物の一部を BOOK・OFFの出張買取サービスで供養することにした。母は「何売っても10円くらいにしかならないからメルカリにしなさい」と渋っていたが、今の私が求めているのはいかに高く売るかよりも書を捨てて街に出ること(と楽して現金を手に入れることグヘヘ)であって、プレミアや何やらはどうでもよい。

出張買取は50点以上からOKらしく、ざっと60点くらいかな?と見積もっていたが査定してみたら優に100を超えた。文庫、雑誌、絵本、漫画単行本、公演プログラム、CDなど合計141点を売って合計8085円。色々真面目に考えたら安いかもしれないけど、ケースに詰められた本たちや握りしめた現金を見ると全然がめつい気持ちにはならなかった。腑に落ちたというか、あーこのお金で人と美味しいご飯食べて幸せになろう、なんてほくほくするくらいには満足。

f:id:kikuno_mure:20170818201916j:plain

明細が長すぎて切った。トータルで一番高く売れたのはメディアミックスが話題の『帝一の國』。原作読みたいマンなどに需要があるのだろう。一冊150円 × 十数冊。

ちなみにまだ20冊くらい残っている。値段が付かなかったものや今売るのをやめたものが行く末を待っていて、私自身悩んでいるが、シルヴィギエムの『ボレロ』公演パンフレットとDANCE MAGAZINEのモーリスベジャール追悼臨時号を売り渋ったのは我ながらなかなか胸が痛んだ。でもまた本棚に戻すつもりもないし、一番やり場に困る。

とにかく、錬成された現金を目の前にして少し明るくなれた。美味しいご飯食べたい。