記憶宮

 

伸びた爪にヤスリをかけるときの匂いがどうも苦手で、どこかで嗅いだことがあるようなないような、体からじわじわと有機物が離れていくような、これはどうやら病床の匂いだ。15の初夏に精神を患って一晩だけ入院したICUの真夜中、死にそうに唸る隣人と酸素、呼ば出されたナースの足音、ついで程度ののんびりした点滴を包括していた。管だらけで寝返りが打てず常に硬直した身体で唯一完全に自由だったのは鼻と耳だから、それ以外の記憶はあまりない。

真面目に死を考えるときは必ず頭痛薬の匂いがする。怨念は砂。怒られる恐怖はダイニングテーブル。罪悪感は明け方の冷蔵庫。自己肯定感は薔薇。たぶん私の感情は鼻が司っている。よりハイヤーな感覚は皮膚と舌。ニュートラル&オールラウンドは耳。眼球は使うのが億劫なときさえある。徹底された“好きなものしか目に入れない”の習慣が効きすぎるのだろうか。

いつだか誰かが言った「身体のすべては記憶でできている」は本当だと思う。トラウマとか根拠のないノスタルジーとか言語化できる記憶のみでは説明できないもの、身体にしか解りえないものがこの世には多すぎる。それが稀に他者と共有できたときの秘めやかなうれしさ。しかしこれを包括するものが肉体であるという事実がなんだか気色悪いような気もしてあまり受け入れられない。なぞと考えている今も台所のシンクで生肉を掴む感覚に苛まれている。

深夜にしゃぶる熟した桃の皮が変色する前に寝なければと思いつつ少女漫画と4000字の現実逃避に勤しむ。