Loop-33

強すぎる冬の花火に砕け散った人類、ことに “あの子” の死体には、どうも膨張と破裂を感じる。焼け死ぬとか破片が刺さって死ぬ以前に内部が膨れ上がって “砕け散った” のだろう。パンク死。を目撃してもなお少年は「猿にはなりたくない」などと怯えたことをほざくが、私は彼に近い不安めいたものを持っているからあまり責められない。


さよなら人類 / たま

あの子は我慢できなかったのかもしれない。薄い肋骨の奥にパンパンに何かを抱え、それらを放出できず、花火に身を任せねばならないほどの我慢が、あの子にあったとしたら?


じゃがたら "もうがまんできない"

ちょっとの歪みも裏切りも失敗も誘惑もなんとかやれるようになるのは大人になってからでしょう。薄い硝子の子どもの身体じゃあそんなもの受け止めきれない。でもそんな姿にも困り顔で「心の持ちようさ」と言ってくれる大人はちょっぴりいてほしいな、なんて思ってしまうのは、ただのわがままだろうか。


尾崎豊 CORE

彼の死体を思っても膨張と破裂を感じる。肺水腫になるほど弱りきっていたとしても、彼は幾度も爆発を繰り返してきた(というか爆発を仕掛けてきた)から、死の直前は多かれ少なかれ花火を見たはずだ。暴走と生真面目、愛。


-自由- RCサクセション

砕け散って得られるものは自由に他ならない。心において我慢の反対語があるとすればきっとそれは自由だから、あの子も尾崎も自由になったんだ。心の持ちようさえどうにかすれば人はいつだって自由でいられる。腕の中でも、雑踏の中でも。

詩情のキッスは死に際の皮膚に寄せて

3〜8月頭にかけて、ビョーキじゃないかと思うくらい本を捨てまくった。実際は売ってるか譲ってるかなんだけど心境は “捨てる” そのもので、まるで臨終前の身辺整理みたいだ。洋服もアクセサリーも化粧品も減った。下着もどんどん買い換えて、もしかしたら見た目も変わったかもしれない。

基本的に本は一度読み自分が欲しい情報(知識・感想・インスピレーションetc)を手に入れられれば目的は達成され、棚に戻してもう取り出さなくなる。それが蓄積されていったのが “本棚” であり、それは自身の脳の分身とも言えるし、バンギさんの言葉を借りれば “価値の体系” とも言える。さて、しかし本から得た “価値” はその本を読んだ時点で私のなかにインデックスされる、場合、本そのものが物体としてそこに残る必要はあるのだろうか? 本を読んで何かを得る、学ぶという行為が何千年も前から脈々と続いているのは、歴史がその大切さ(本から学ぶという行為そのものや学んだことの信憑性っていうか真実味のようなもの、あるいは実例)を裏付けているからかもしれない、でも得たものそれ自体が普遍的かどうかと言われれば定かではないし、宇宙規模で考えればそれらの根拠はどれもおぼつかないものだ。そうなると、今ここに存在する本棚に蓄積された価値のようなものはもしかしたら錯覚にすぎないのではないか? ここまでくると、読まなくなって取り出さなくなった本にかけたお金すら馬鹿馬鹿しいようなそうじゃないような。まぁこんなことを考え出したのは全部やりきった後バンギさんと電話したときの話だけど、でも自分がやりたかったことは単なるストレス発散や断捨離などではなく、もっと深いレベルの “心辺” 整理だったのだと思う。

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これの他にもう一つ小さな漫画棚があったけど大処分の結果完全撤去された。残されたもののラインナップを見て妙に納得する。写ってない下段には別冊太陽が数冊と哲学に関する印刷物がしまわれている。

そんなこんなで、まずは溜まりに溜まった捨て物の一部を BOOK・OFFの出張買取サービスで供養することにした。母は「何売っても10円くらいにしかならないからメルカリにしなさい」と渋っていたが、今の私が求めているのはいかに高く売るかよりも書を捨てて街に出ること(と楽して現金を手に入れることグヘヘ)であって、プレミアや何やらはどうでもよい。

出張買取は50点以上からOKらしく、ざっと60点くらいかな?と見積もっていたが査定してみたら優に100を超えた。文庫、雑誌、絵本、漫画単行本、公演プログラム、CDなど合計141点を売って合計8085円。色々真面目に考えたら安いかもしれないけど、ケースに詰められた本たちや握りしめた現金を見ると全然がめつい気持ちにはならなかった。腑に落ちたというか、あーこのお金で人と美味しいご飯食べて幸せになろう、なんてほくほくするくらいには満足。

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明細が長すぎて切った。トータルで一番高く売れたのはメディアミックスが話題の『帝一の國』。原作読みたいマンなどに需要があるのだろう。一冊150円 × 十数冊。

ちなみにまだ20冊くらい残っている。値段が付かなかったものや今売るのをやめたものが行く末を待っていて、私自身悩んでいるが、シルヴィギエムの『ボレロ』公演パンフレットとDANCE MAGAZINEのモーリスベジャール追悼臨時号を売り渋ったのは我ながらなかなか胸が痛んだ。でもまた本棚に戻すつもりもないし、一番やり場に困る。

とにかく、錬成された現金を目の前にして少し明るくなれた。美味しいご飯食べたい。

なみだネオンの海辺

治安の悪い都心部を走るJRに揺られながら苦しみや踠きを想っている。壊れたり壊されたり世の中はそればかりだけど、壊れを隠すのが一番自分を壊す。世の人よどうか疲れきらないでほしい、疲れる前に眠るか、眠って取れない疲れなら誰かに頼るか、そうでないと世界までもが壊れていくだろう。まだこの世には壊れてはいけない人が沢山いて、我々もその人々を最善の形で守らねばならない、宇宙にとって取るに足らないすべての人類は裏を返せば皆取るに足らなくないのかもしれない。取るに足らない私にとって取るに足らなくない人にも足りちゃう人にも常に優しく、慈しみ深く生きたいと思うのだった。

美食家の鏡台

食事に対する諸々の葛藤を受け入れられるようになったきっかけは人との出会いに他ならない。1年前くらいだろうか、偏食についての悩みを他人に明かした時点で、私もどこか本気で「どうにかしたい」と思い始めていたのだろう。それを行動に移すまでにはまた随分時間がかかったけど、先日知り合った女性が教えてくれた「食は人なり」の意味を体感してから、もっと食に向き合いたくなった。というか、素直な心境をそのまま書けば、食事のせいでこれ以上自分を傷付けるのはもうごめんだと思った。偏食のせいで内臓を壊したり、何より心を壊したり、壊れた心の状態で手に入れた痩せを正解だと思い込むのは結構きつかった。白米だってお肉だって別に何の罪もないのにどこか猛烈な後ろめたさを感じてしまうのは明らかに心理的要因(私の場合は肉食に対する生理的嫌悪感、母親が好きな大食いバトルとダイエット番組、中学時代のダイエット経験)であって、実際ひとたび口にしてしまうと美味しいものは美味しい。好きな人たちと食べるのはもっと美味しい。 

私がご飯を受け付けないときは大体心が弱ってて、酒煙草お菓子にはまって衰弱と肌荒れで自己嫌悪無事死亡だから、多分食に困らなくなれば自然とそこもほどほどになるのだろう。普段はお酒も煙草もやらないしお菓子も限られた場合にしか食べないから(本当に)、習慣化しているタイプの人よりは抜けやすいかもしれない。ただばっさりやめるとかは今のところないので普通にバーには行くけど。 

もともと危なっかしくて人に心配をかけがちな身だからこそせめて食事くらいはもう克服したい。とりあえず飯食って寝て体力っぽいものをつけて、無駄な不安要素を減らしたい。今持ってる服がきちんと着られればいいし、食べないと美容にも悪いし(だからといって超意識高いトップモデルみたいな美食を目指すつもりはない)、まぁとにかく美味しければ何でも食べたい。今は桃が食べたい......。 

小夜しぐれなくは子のない鹿に哉

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小夜子さんにまつわるエピソードと感情はあまりに私的すぎてこの場で語れることは少ない。

何度か夢に出てきてその姿を見たが、やはり彼女はいつもひとりだった。私とも喋ったし、他人とも喋っていたが、実際は、心の中はどうだったんだろうか。

出会ってからもう4〜5年が経つ。私は随分と変わったようで変わっていないらしく、しかし彼女はあまりにも私を遠くへ連れて行ってくれた。どこへ行っても苦しいことに変わりはない、しかし、今味わっている苦しさの類は昔のあれらとは全く違うもので、つまりもしかしたら少しは変わったのかもしれない。

10年なんてきっと長くも短くもないのだろう。彼女にとっても、私にとっても。

夜は瞬膜の此方

人間には二つのルート

一つは人間の形をした普通の赤ん坊から大人の人間に成長するルート

もうひとつは 猫がある時点で変身して人間になるルートがあって

その双方とも人間から生まれてきたものと固く信じている

 

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悟っているようで悟っていない。いろいろ思ってはみるけど けっきょくわからなくて、風が吹いて夜になって飼い主のそばに戻る。

“ほんとうのこと” を空想交じりに教えてくれた美猫は、君は美しくなるよ、と微笑んだ。綿の国は明るいのか暗いのか。一人で行くのはなんとなく怖いな。彼だってほんとうは人間になりたかったのかもしれない。彼に綿の国を教えた老猫も、そのまた前の猫も。

 

綿の国星 

 

きみはアイドル

きらきらしたまま消えてゆくアイドル。山口百恵ピンクレディーキャンディーズ。新旧を問わず(新についてはほとんど知らないからあまり言及できないけど)絶頂の花火が一番上で潔く星になるような引退のし方をされると「ああ、貴女はそうやってどこまでも美しいのね」とおもう。残されたファンたちはいつまでも脳裏に焼き付いた観念の美に恋い焦がれる。なんて幸せなんだろうか。

みんなのアイドルでありたい、貴方のアイドルでありたい、わがままをゆるして涙を舐めとってほしい、わがままさえ可愛いと思わせる魅惑に満ちた永遠の少女でありたい、老いてしまえば少女性は観念にすぎなくなってしまうのかもしれないけど 春琴と佐助如く観念で愛しあうのも全く悪い気はしない。そしてこの世には反対に年を取れば取るほど可憐さを増していく人もいて、そういう人を見ては感嘆したり羨んだり悲しくなったりする。

これはアイドルに限らず 女優やモデルにも言えることで、ましてや男女の隔てもない。ただ、生死のレベルになるとどうなのだろう。国民的キャスターの訃報に美人薄命を想う。本田美奈子も、夏目雅子も、当の彼女も、きっと神様に愛されすぎた。じゃあ、岡田有希子は?