尽信書則不如無書

夏休み中、本を捨てまくったら価値体系と世界に対する本質的なプレゼンスが変わった。自分が世界に期待しなくなったし、世界も私に大して期待していないことが分かった。

別に何を意識したわけではないが、ここ2〜3ヶ月くらいの間、なんとなく捨てなきゃいけない気分になったのだ。身体が勝手に毎日本を捨てた。 

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捨てた直後はスッキリするけど、少し経つと感情がリバウンドする。もっと捨てたい、というのと、棚を埋めたいというのとが同時に起こる。寂しさや虚無にも似た変な感触。
だからといって本屋に行っても買う気が湧かないのだ。欲しいなー と思っても、あーまたどうせ読んだら棚にしまうだけなんだろうな、と。きっとしばらく経ったら「欲しいなーと思ったなーあの頃」程度にしかならないし、きっと本側も私をその程度にしか思っていない。

そんな中でも私の手元に残った本たちは、本当に大好きで手放せないものか、手放そうとしたのにまた戻すことになったものだ。ラインナップを見てみると、なるほど私はこれとこれで構成されているんだと改めて思い知る。思うに本棚とはその人の分身であるから、私の “本来” とはすなわちこれらなのだろう。 

だからといってこれらに固執するつもりはない。だからといってこれらを変えるつもりも以後昇/降格をするつもりもない。ただここをある種の起点ー帰点とし、何かを忘れそうになったとき見渡せる場所として常に美しく整えておきたいと思う。

尽信書則不如無書。
尽く書を信ずれば則ち書なきに如かず。
孟子

 

本捨て話にまつわる過去の記事はこちら。詩情の今際 - 玲瓏

夢のようなこの世

舞台床に埋め込まれた水族館さながらの巨大水槽は、役者が現れては消える空気のない空間だ。圧倒的な仕掛けが施された舞台と最前列の間隔は非常に狭く、絶対濡れると分かっているのにわざとそこに座る。濡れる体験を求めている人が大半だと思う。しかしそんな彼らがしぶきを避けようと身構える瞬間は、劇場全体に不思議な期待感を引き起こす。瞬間が生まれる瞬間を意図した日々未完成の芝居。http://kikuno-mure.hatenablog.com/entry/2017/09/17/004829

ドヤ街に聳え立つ “るなぱあく” には既に溺死量の水が隠されているというのに、また雨が降り注いで、どちらが芝居仕掛けなのか分からない。昨日とまた台詞が違った。吹き出す水が数倍増えていたような。限界まですし詰めにされた客たちは肩を縮めて目を凝らす。人肌と芝居で熱くなり、雨と水で冷え、彼らの身体もまた役者のように大忙しだろう。

楽日のカーテンコールで、劇場スタッフにもライトが当たった。夢のようなこの世にいた私はつい我は役者と勘違いして満面の笑みを浮かべてしまった。この2日間何度も頭をよぎった舞台を羨む感情も、この世のような夢が見せた芝居の一部なのかもしれない。

“間”考

同じ型を繰り返しながら群衆で前進する。その間、他人と同じ方向に花を咲かせてはならず、また花を眼差してはならない。他人の隙間を縫いながら間を埋めあるいは間を作り、眼差しの間にも気を配ると、そこには野花のように呼吸する花束が生まれる。すべての間を探り、合わせ、整える。

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舞踏合宿中、山海塾舞踏手による型のデモンストレーション。吐息と花。

舞台床に埋め込まれた水族館さながらの巨大水槽は、役者が現れては消える空気のない空間だ。圧倒的な仕掛けが施された舞台と最前列の間隔は非常に狭く、絶対濡れると分かっているのにわざとそこに座る。濡れる体験を求めている人が大半だと思う。しかしそんな彼らがしぶきを避けようと身構える瞬間は、劇場全体に不思議な期待感を引き起こす。瞬間が生まれる瞬間を意図した日々未完成の芝居。

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横浜トリエンナーレ2017水族館劇場公演会場。舞台上の鯉が泳ぐ床下水槽は圧巻。

魔術の最終到達地点は、今ここにあるすべての間が完全に調和する瞬間かもしれない。宇宙ー意識ー事実・事象ー感情や空想ー意志のすべてにおいて均整が取れた状態になると、はじめて意志が正しい方向に働き、願いの成就につながる。占いや儀式はこの内外の域を超えたあらゆるものの間の調整をするための行為であって、決して端的に願望を叶えられる便利道具ではない。音の魔術師・ザッパの言う、いかがわしくても他人を傷付けさえしなければ良いという考え方も、聞こえは勝手極まりないが、これこそが自分と何か(誰か)の間を守る最大のキーであることに間違いないだろう。魔術はあらゆる“貴方”と私の間に起こる。貴方は宇宙であり物質、ときに貴方自身だ。

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アレイスター・クロウリーによる一筆書六芒星。能動性と受動性、有と無の調和。

 

悪魔の拳

財と幸福の関係を体感したいと思って始めた托鉢風修行(道中にある自販機の小銭ポケットを逐一拝見する)のはずなのに、それ以上にすごく自分の本質的な部分に良い変化があらわれ、立ち飲み屋通いが始まり、ついには起業にまで至った。結局金と幸福の話に立ち返ってくるあたり凄い。何がなんなのか分からないのが夏だ。言語化するほうが馬鹿みたいだ。

道端で奇行をやり、その足で立ち飲み屋に行ってレモンサワーを煽りながら素敵な夜を過ごす。どう転がっても楽しく何を食べても美味しくて泣いても笑ってもすべてが許される、こんな素晴らしいコミュニティにいられることがとても有難い。子どもみたいな顔の子どもが元気に酒を浴びて得るものなんて大抵子どもじみてるんだけど、まあべつにいいんじゃない。

 

●大半のまなざしは自分の勝手な妄想であり取るに足らないもの=本当に大切なまなざしは自分のなかにある=それを大切にすればだいたい大丈夫だし楽になれる

●他人が自分をどう思ってるかが気になる のではなく、他人にどう思われてるかを知って自分が傷付くのが怖い。で、知ったところで大半は傷付かない

●本当は私は私が好き。自分に自信がないのではなく自分を信じられないだけ、むしろ自信はある

●子どものうちは大人と過ごす

●自分が自分に自分でまなざす

DEVIL'S PLAY

2017年9月7日、ココナラというサービス売買サイトにて占い屋さんを開きました。

DEVIL'S PLAY

発起も一瞬、屋号も即決、開店記念無料キャンペーン枠は初日に終了しました。すでに通常鑑定でもご依頼を頂いており、魔術な日常が始まっています。

お悩みごと、迷い、とにかくすっきりしたいことなど、ぜひご相談ください。

またココナラに登録されていない方、登録する予定のない方もお気軽にご相談頂けるよう、近日中に別ルートも用意する予定です(お値段、相談ジャンルはココナラ仕様と変わりません)。

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占いは ひとつの儀式です。
ただ結果を視て終わり、当てて終わりではなく、タロットから貴方の心を読み解き、癒しながら、必要なものを添えることで良い変化をもたらすことが 一番重要であると考えます。
占いを通して心を整え、心を起点に身体を整え、それによって美しくなった貴方が貴方自身で世界をより美しくしていく。
そんなお手伝いができましたら幸いです。
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占術:トートタロット(3枚+1枚引き)
価格:1件500円
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 DEVIL'S PLAY

ぼくらは生まれつき身体のない子どもたち

①自分が不安に思ってることは宇宙からしたら大抵取るに足らないこと

②托鉢

③他人の土俵で戦ってはいけない

④不安になったら宇宙を考える

⑤親友は親友

⑥気楽にやれ

⑦相手が誰でどうであれ思いやりを忘れない

⑧絶対やらなきゃいけないことは課題と飯と風呂

⑨本を売ったら金になる

⑩人間皆不完全

あどけない日々を気むずかしくすごす。秋めいた風が吹いたのでお気楽なスカートで微笑する。向かいに座るまなざし、ビールが珈琲に変わった手元にすこしどきどきする。脚下照顧。かわいい気分。


たま~電車かもしれない

 

プルシャの讃歌

「将来どんな仕事したいの?」と聞かれて答えられないのが時期的にまずくなってきた。全く考えていないわけでも全く興味が持てるものがないわけでもないけど、どんな職種であれ自分が働いている姿を想像できずいつもぼんやりしている。

すごく好きなものを仕事にするより、好きでも嫌いでもないものを仕事にして働くうちに好きになっていくのが理想、と考えたときにそれに当てはまるものが思いつかない。ので結局は好きなことを仕事に就きたくなってしまうが「すごく好き」ではなく「まぁまぁ好き」くらいというのがポイントで、これが難しい。超絶好きなものだけ周りに置いてあとは触れない(嫌悪ではなくそれが好きな人たちとも気持ち良く過ごすためのマナー。Twitterで得た教訓)スタイルに “まぁまぁ系” の感情の理解は難しい。

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ゼッタイに出る授業『セガール概論』 1/2

でも別にまぁまぁ好きな感じの界隈に就職したからといって絶対に充実感を保証されるわけではないし、全く興味のない分野で一発ぶち当てて大成功するかもしれない。とにかく、好きや興味云々に関わらず自分の仕事に誇りを持てて、その仕事によって幸せになれる顧客的な存在がきちんといて、そこの間で程よく経済が回っている状態がきっと世界にとっても人にとっても一番やさしい形だと思う。それを何で実現していくかはまだ分からないけど、貧乏でもいいから心さえ豊かにいられたら私は十分です。

宮澤賢治 〔雨ニモマケズ〕

アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ